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百年少年の勇気 〜海洋温度差発電への挑戦〜
代表取締役社長 里見公直 インタビュー
可能思考 ― Possibility Thinking 少年の頃の勇気をもって。


厳しい時代を抜け出すには、自分が夢中になれること、
好きなことで生きられる道を歩む以外に、道はない。

−果敢なチャレンジの源は?
里見:すべてにおいてそうなのですが、順調に行き出すと退屈というのか、眠くなる癖が子供の頃からあるのですよ。 「落ち着きがない」「真面目に!」「変化を好む」とか、よく通信簿に朱書きされて母親を嘆かせたものです。 私は非常に単純で夢中になれば突っ走ってしまうので、その失敗の多さには自分でも呆れるほどです。でも、夢中になれること、つまり好きなことは疲れないんですよね。今ではもうこの単純さが私の資質、財産だなと居直っております。
私には4人の子供がいますが、震災の後は毎日ボランティアに夢中で、煤と汚れで真っ黒になっていました。今、彼らはそれぞれ独立して私の所には居りません。夢中になれること、好きな道を探しているのでしょう。 音沙汰もありませんが、よいことだと思っています。以前彼らにこんなことを言いました。 「お金や財産をお前達に残すお父さんよりも、美しい地球を残すことに一生懸命なお父さんになるよ」キザでしょう?でも、当時大学生の長女を筆頭に、高校生の長男、次男、中学生の次女は4人共大きな拍手をしてくれましてねぇ。


ボクには理屈はありません。OTECはできると思っている。
そして好きなことを好きだからやっているだけです。

−OTECをよく決断されましたね。
里見:地震で本当に多くのものを失くしてしまいましたが、幸い当時で資本金の10倍ぐらい内部留保がありましたし、売却できるものはすべて売却してこの事業の準備をしました。
神戸は見渡す限り仕事の山でした。業種業態を変えればの話ですけれど。何から立ち上げていこうか。 しかし、爺さんの代から神戸で過ごしているものですから、あの瓦礫の山を片付けて里見産業(当時の社名)が立ち上がったのでは、何か心に怯むのがある。 全然違うものでやってみたいという気持ちもありました。瓦礫の街を歩いていますと、神戸灘生協の前に理事名で書かれた模造紙が貼ってありまして、 正確には忘れましたが、「納入業者の皆様へ。神戸では仮需が起こるでしょう。しかし被害者の仮需であるということを忘れないでください」というコメントでした。これを見て私はボロボロと涙がこぼれました。 「ああ、日本一の生協のトップはこの時にこういうことを考えられるのか」と。 再構築でいくらでも仕事があるなどと一瞬でも自分を慰めたことに恥入りました。そして、これで立ち直ったのでは私は生涯心に怯むものができてしまう、全然違うことでやってみたい、と決心したのです。


面白がってときめいて夢中になっている奴が一人もいないところ、そこがオンリーワンで楽しい。

−厳しい選択と思えるのですが。
里見:資本主義の盲点は、儲からないビジネスは誰もやろうとしないところです。 資本主義の嵐、国際標準の嵐、終わることのない競争を避けることができる格好の場所が、実はここなのに、です。この「儲からないところ」をどうこなしていくかが個性であり、独自性であり、資質であり、組織の文化になるように思えるのです。
私は上原先生との出会いによってこのOTECについて学ぶ機会を得ました。現在誰も手をつけていないところを「儲からないところ」というふうに定義付けたのです。一時やりかけた方がいらっしゃいますが、現在は放棄なさっています。当然ワクワクするではありませんか。
古来、物事を革新するのは多くの場合その道の素人であったことは歴史が教えています。この「儲からないところ」には楽しさがいっぱい潜んでいるのではないか、そう勝手に解釈しました。 結局、効率を上げればクリアーできる訳です。これなら私達がオンリーワンになれるんじゃないか。 コンペティターがいないのですから。激しい競争で仲間を倒し、淘汰の末ナンバーワンの会社になるというのが今の社会の構図です。 しかし、誰もやっていないところをやりますとオンリーワンです。これなら我々のサイズでも勝てる、と確信しました。 その点に着目している企業が未だなかったのです。上原先生は天才ですが、私は普通力をコツコツと積み重ね、持続、協調させていくことしかできません。 学問をやるには非常に遅れをとってしまったのですから、身を張って動き回るしかないのです。先生をはじめOTECを応援してくださる方が沢山いらっしゃいまして、私でいいのかと戸惑うこともあります。 「小人玉を抱きて憂いあり」という言葉がありますね、中国の龍が玉を追いかけるという。あの玉を私は受けてしまった訳ですから。 OTECというスケールの大きな事業には、周辺を含めた新技術開発が不可欠で、それこそ国家単位の技術の蓄積と開発費が必要であるということは十分承知しています。 しかしこれは日本の造船業界にしっかりあると睨んでいます。研究者の飽くことのない情熱は、時を味方につけて必ず開花するものと、今は自然の摂理の妙を楽しんでいます。
私は、暖かい支援者の皆様に応えることができるよう、小さな一歩を歩み続けて産業界にゼネシスという珍種の大輪を咲かせてみたいと思っています。
ありがとうございました。

株式会社ゼネシス  代表取締役社長 里見 公直 プロフィール

昭和19年9月3日(西暦1944年) 神戸市生まれ
神戸市須磨区にて教育者の両親のもと、長男として生まれる。 3歳上の姉が一人。20年3月、空襲激化により、兵庫県印南郡ついで鳥取県境港市へ疎開。 20年8月の終戦後、4歳まで疎開先にて育つ。 24年3月、兵庫県に戻る。大学紛争勃興の中、39年4月創立の芦屋大学 教育学部に第一期生として入学。 39年8月、在学のまま醸造機械製造メーカー薮田産業(株)の創業に参加、醪圧搾機の開発・販売助手として採用される。 43年3月、卒業。55年4月、社主承認の上、在職のまま神戸大学 医学部へ研究生として入学。 有機水銀、アルコール等の人体に対する修飾因子の研究を行う。 58年5月、薮田商事(株)販売部門の創設を受命、取締役営業部長就任。 62年3月、神戸大学 医学部 公衆衛生学講座(現:神戸大学大学院 医学系研究科 環境応答医学講座)環境医学分野 修了。 平成元年3月、退職。同年、里見産業(株)創業、代表取締役社長就任。 平成7年1月、阪神・淡路大震災の直撃を受けるが、奇跡的に人損はゼロ。 同年、当時佐賀大学 理工学部 上原春男教授主催の「成長の原理」に入塾。 電撃的ショックを受け、OTECに夢中になる。 平成13年10月、称号を株式会社ゼネシスに変更、現在に至る。


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株式会社ゼネシスはチーム・マイナス6%に参加しています。